【リボーンズエンジェル】 より sample




 その時雲雀が、ふと足を止めたのは、偶然でもなんでもなかった。
 目の端にふと捕らえた光に、釘付けになった。
 何事かと辺りを見渡し、そうして見つけた。
 威圧感と共に押し迫ってくるような倉庫街の、単調で同じ作りの倉庫が並ぶ中、狭い路地の上、見上げるような位置にある、非常階段の踊り場。
 それは、月の光を受け、鈍く光り輝いていた。
 鈍く。淡く。
 けれど、意識を捕らえて離さない、確実なまでの存在感を持って、キラキラと。
 深い闇に支配された、牛の刻も過ぎた、深夜に近い時間帯だった。
 今宵の月は鈍い。
 厚い雲に覆われた夜空で、時折思い出したように現れては、その度にぼんやりと、辺りを鈍く照らし出している。
 普通の人間であれば、今宵は嫌な夜だと、眉をしかめるであろう悪天候がかえって心地よく、最高の仕事日和だと、雲雀は小さくほくそ笑む。
 ひと気のない倉庫街だ。
 埠頭に面して立てられているため、適度に波がコンクリート壁に打ち寄せる音が、気配を消してくれる。
 そこを、雲雀は、音もなく駆け抜けていた。
 背後から、遅れること数百メートル。
 追いかけてくる気配は、その数、十は下らないだろう。
 興奮で我を忘れているのか、距離にして大分離れているというのに、喚き声や怒鳴り声、大業な物音が騒がしい。
 あれでは、掴まえられるものも取り逃がすに違いない。
 事実、雲雀もこのまま、逃げ通せる自信があった。
「弱い群れほど、よく、吠える」
 走りながらも、小さく言葉に出す余裕すらある。
 本来、雲雀の性格からして、敵に背を向け逃げる、などという選択はない。
 いついかなる時であろうとも、問答無用で地に沈め、屍の上を、揚々と立ち去る、それが元来の雲雀だ。
 けれど今回のミッションにおいては、第一に、けして敵に手を出さないこと、というのがあった。
 速やかにミッションを遂行した後は、敵の追随に反撃することなく、まくこと。けして手を出すな。
 言われてはいたが、いい加減、限度というものはある。
 ミッションが滞りなく進められるのであれば、と、性に合わない逃亡も受け入れたというのに、追ってくる敵は一向に減らないし、状況伺いだと称して逐一入ってくる、イヤモニからの無線は、この上なく雲雀を苛立たせる。
 おまけに、くたびれてもきた。
「……さすがに、そろそろ限界、だよね」
 一人、誰に言うでもなくごちる雲雀に、肩口に乗っていた黄色い羽毛で全身を追われた小動物が、合わせるように答えてきた。 
「ヒバリ、ゲンカイっ、ヒバリ、タタカウっ」
「……本当にキミは、賢い子だね」
 あまりにも、ふかふかと触り心地のよい形状に、ただの鳥ではないと常々思ってはいたが、まるで人語を理解するかのような合いの手を入れてくるパートナーの賢さに、満足げに頷く。
 雲雀は肩口の鳥の、ふかふかの毛を撫でた。
「決めた。やっぱり咬み殺そう」
 あとで、言われるだろうが構わない。
 そもそも、大分譲歩している方なのだ。雲雀にしては珍しく、言うことも聞いたし、反撃も試みなかった。
 だからいいのだ。
 実に彼らしい、独自の持論を展開しながら、雲雀はゆっくりと足を止め、立ち止まり振り返る。
 距離にしておよそ一キロ弱。
 相手は八人。プラス銃口八つだが、まるで問題はない。
 雲雀はゆっくりと、懐から取り出したトンファーを構えた。



 最初それは、月の光かとさえ思ったのだ。
 心の中でカウントを計り、やがて追いつく敵に最初の一撃を食らわし、ひるんだところで再びもう一撃、いかに迅速に最小限の防御で敵を倒すかを、頭の中でシュミレーションしていた雲雀の脳裏を、ふと掠めるように横切った光。
 今宵の月は鈍い。
 厚い雲に覆われた夜空で、一瞬の雲の切れ間に現れた月が、倉庫のガラスにでも反射したのかと思い、最初は気にも留めなかったが、再び横切る白いそれに、ふと、興味を惹かれた。
 顔をあげ、光の見える方向に視線を向ける。
 威圧感と共に押し迫ってくるような倉庫街の、単調で同じ作りの倉庫が並ぶ中、狭い路地の上、見上げるような位置にある、非常階段の踊り場で、それはまるで、月夜の光のように、鈍くぼんやりと、浮かび上がっていた。
 目を奪われた、などという陳腐な言葉は使いたくないが、まさに、それ自体に力があって、無意識に惹かれ、目を奪われるような、鈍い光。
 踊り場に、こちらからは背を向けるようにして立ちながら、無造作に、手に人間の襟首を持っている。
 暗くてよくは見えないが、掴まれた人間は、まるでボロ雑巾のように、ぐったりとなすがままになっていて、身にまとう服は、ボロボロに裂けているようだ。
 暗闇だというのに、服にこびりついた褐色が、はっきりと見て取れる。
 そうして、それが、振り返ってきた。
 非常階段の踊り場だけに、人工の光は殆ど届かない。
 目を凝らしても、見えるのは、ぼんやりと立つ人物のシルエットと、こちらを見下ろしてきているであろう、顔の角度から推測できるだけの僅かな情報のみだ。
 顔は見えない。
 けれど、すっと伸びた等身と体格、どこかガニ股の立ち方から、それが男であることだけは、はっきりと分かった。
 そして、鈍く浮かび上がる光。
 白ではない。もちろん、黒でもない。
 闇の中にあって浮かび上がる、それは金色に輝く光だった。
 表情はおろか、黒く形どる人影は、顔立ちさえまったく見えない。
 なのに、視線が絡み合っているであろうことが、はっきりと分かる。
 なぜなら、雲雀は、異様なまでに興奮していたからだ。
 まさに、全身の毛が逆立ち、神経が研ぎ澄まされ、肌にはピリピリと刺すような痛みと、快感さえ覚える張りつめた空気。
 獲物を見つけ、捕らえ、食らう瞬間の高揚感そのものだった。
 まるで獣のようだった。
 自分も。そしておそらく、じっと見下ろしてきているであろう、その気配も。男の放つ殺気も。
 肌に刺す殺気に、溺れそうになりかけた雲雀だったが、それは一瞬にして、破られた。
「いたぞっ、こっちだっ!」
 怒号と共に、雑魚共が追いついてきた。
 雲雀は小さく舌打ちをしながら、背後の喧騒を見る。
 そうして、見下ろす殺気を再び見上げるが、男は、手にしていた襟首を、まるで物を捨てるかのように、どさりと手放し、身を翻した。
「……っ!」
 咄嗟に後を追おうと動きかけたが、すぐに、追いついてきた男達に行方を阻まれ、もう一度見上げたら、すでに男の姿は消えていた。
「おおっと、抵抗するなよ? もう逃がさねえぜ。観念しな」
「動くと、撃つぞ」
 見ればその数、いつの間にか十数名まで膨れあがり、皆、一様に銃口をこちらに向けてきている。
 雲雀は、ふうん、と呟いた。
「これで全部? だったら、全員沈めれば、一気に終わるね」
 一通り見回すが、骨のありそうなやつは一人もいない。
 どれも、殺気一つまとえない、雑魚ばかりだ。
 殺気というのは、先程のようでなければならない。
 ただ、視線を絡めただけで、食われそうになる、強い強い気配。
 肌に突き刺す痛みに、快感すら覚えた、強い気配。
「さあ。さっさと終わらせよう。まずは誰から来る?」
 言って、雲雀は楽しそうに舌なめずりをし、トンファーを構えなおした。






サカナニナレナイサカナ ■ 畝ちうさ