【ただ、届けたい想いがある】 より sample




 いつからだったろうか。
 絶壁の崖に沿うようにして建つ、灯台の白い小屋に、住まう人間が現れた。
 廃屋となって久しい、朽ち果てたコンクリート作りの白い家だ。
 眩いばかりの真っ白な壁は、何度も塗り重ねられているだけに、いつでも白く、暗闇でもぼんやりと浮かび上がっている。
 太陽光の強い土地では、少しでも涼を求めるために、村中の家の壁を白く塗りつぶす、と聞く。
 けれどこの土地にあって、それは、悲しいかな必要ない。
 一年の殆どを、ぶ厚い雲に覆われている。
 極端に太陽が顔を覗かせることの少ないこの村において、必要なのは、涼を求めることではなく、暖を求める、すなわち少しでも熱を溜め込むことだった。
 村の建築物はどれも、土を練りこんだ土壁作りの頑丈なものばかりだ。
 だからこそ、崖の上、白い家だけが、不自然にその存在を浮かび上がらせている。
 灯台とは本来、海上を行く船舶から、陸上または防波堤上の位置を示すためのものとして、建てられるという。
 そういう意味では、暗闇でも見える白い壁に、意味はある。
 とはいえ、レンガ作りの家が建ち並ぶ村にあって、ただ一つ、白く塗り込められた崖の上の白い家は、奇妙な存在感でもって、村の中、君臨するのだ。
 つまらない村だった。
 大地の果て、海岸に這うようにしてひっそりと位置するその村は、しかし断崖絶壁ゆえに、海の恩恵を受けることも出来ず、ただあるとすれば、年中吹き荒れる激しい潮風のみ。
 殆ど太陽が射し込むこともなく、昼なのにどこか薄暗く、常に海風が辺りを支配する。
 強すぎる風は、風車としての利用をさえも拒む。
 なにもない村だと、いつしかそこは、不名誉なまでの俗名で、そう呼ばれるようになっていた。




 いつからだったろうか。
 廃屋と化していた筈の灯台に、出入りする住人が現れた。
 それは奇妙な住人だ。
 かつては、観測台に使われ、常駐する何人もの出入りがあったというそこも、もう何年も前に閉鎖され、今では、荒れ果てた廃屋となっている。
 そこに、いつからか、住む住人が現れた。
 夜な夜な、うごめく明かりがあると言い出したのは、あれは同級生の一人だったか。
 ある者はゴーストだと浮かれ、ある者は未知の生物だとはしゃいだ。
 何もないつまらない村だ。
 外部から流れ着き、いつの間にか出入りするようになった、怪しむなと言う方が不可能に等しい、若い男二人の存在に、村中の人間は浮き足だち、好奇心で囁きあった。
 少年にとってもそれは例外なく、興味津々にこっそりと訪れた、崖の上の白い観察小屋。
 そうして、少年は、それに出会ったのだ。





 白い家は、元々が灯台に出入りする看守達の観測小屋だったこともあり、作り自体はしっかりしていて、廃屋となって久しいとはいえ、まだまだ十分住める体裁を保っているようだった。
 分厚い土壁に作られた窓枠から、こっそり中を伺う。
 開け放した窓には白いレースのカーテンが備え付けられていて、それが風に煽られ、穏やかにはたはたと揺らめいている。
 窓枠の下に張り付くようにして、そっと中を覗く。
 いた。いつものように、一人だ。
 ソファーに深く沈みこむようにして、手元に視線を落とし、なにやら読み耽っている。
 艶やかな黒い髪は、窓から入り込む風に緩やかになびいていて、時折、思い出したようにその人物は、片手でうっとうしげに髪を撫で付けては、再び微動だにしなくなる。
 終始、視線を手元の本に落としたまま、彼は殆ど、動かない人形のような、もの静かさだった。
 綺麗な黒髪だ。
 この村に、黒髪の人間はいない。
 北欧の外れ、保守的で排他的な小さな田舎村において、外部からの血が入ることは殆どない。皆が、村特有の同じような外見的特徴を持ち、似通った見た目をしている。すなわち、この村で言うなれば、鈍い金髪に褐色の瞳、大柄で朴訥、丸い目鼻だちと角ばった輪郭。それが、この村に住まう者の特徴だった。
 黒髪に黒い瞳の人間など、この村にはいない。
 だからこそ、その外見は、少年の興味を惹いてやまないのだ。
 授業だったり、書物や映像だったりで、もちろん知識としての認識はあった。
 東洋にある、少年の住まう村とはかけ離れた見た目を持つ人間達の集まり。アジア人と呼ばれる、その人種達。
 知ってはいた。
 けれど、知識としてあった、そのどれとも、違うように思えてならないのだ。
 こっそり窓枠から覗き込む先、物静かで動かないその人物の髪は、艶やかで、濡れたような色彩をしていた。
 伏せ目がちの目は、切れ長で、すっと透き通っている。
 白い肌に黒い髪は、じつによく映えると思う。
 綺麗だと思い、だからこそ、触れてみたくてしょうがなかった。
 いつまでも微動だにせず、手元の本を読み耽る彼は、まるでそこだけが別世界のような、不思議な空気を醸しだしている。
 思わず見とれてしまっていた少年だったが、不幸な事に、その時、少年の鼻をくすぐる、強い風が吹いた。
 我慢をしようとすればするほど、過剰な音をあげてしまうのは何故なのだろう。
 少年は、くしゅんっと、大きなくしゃみを洩らしてしまう。
 しまった、と慌てて口を塞ぐと同時に、すっと目の前が翳る。
 恐る恐る顔をあげた先、目の前には、銀色に光る金属製の棒を両手に構え、見下ろしてくる、かの姿があった。
「本当にキミは懲りない子だね。今日こそ……咬み殺す……っ」
 うわあっ!
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……っ。
 喚くように連呼しながら、頭を抱えて縮こまる少年だったが、ガチャリと戸の開く音がして、ひょっこりと顔を出した人影があった。
「おー、来てたのか。つーか……どうした?」
 実に呑気な、まるで空気の読めていない仲裁。
 それは、ディーノの、力の抜けるようないつもの笑みだった。






サカナニナレナイサカナ ■ 畝ちうさ